アンダーソン土器に傷が少ない訳
 
  私が集めたアンダーソン土器の小さい物を床に並べてみた。実はそれ以前に三代丸山遺跡博物館に行ってきたのだが、そこの縄文土器を見て気が付いたことがある。私の集めたアンダーソン土器は縄文土器に比べてほとんど傷が無く、きれいなものばかりだった。アンダーソン土器とは中国の甘粛省や青海省で出土し、それには美しい文様(縄文土器には無い)が描かれていているものが多く、芸術的なものさえある中国のアンダーソン土器と縄文土器は、極めて大雑把に言えば同時代の土器であるが、アンダーソン土器はBC400~BC600位の範囲の新石器時代の古い土器である。


 一方三代丸山遺跡の土器は、博物館の物でありながら傷や割れたものが沢山あった。
両者の見た目の違いは明らかであるが、私が気が付いたのはアンダーソン土器にはほとんど傷がなく、縄文土器の展示物には割れや修復跡が沢山あった。
           三代丸山遺跡博物館の縄文土器


 その理由は何故か? 縄文土器は野焼きで低温で焼かれるから軟らかくて割れやすい。アンダーソン土器は1000度くらいの窯を使って焼かれるから硬いので、割れにくいということはある。しかしアンダーソン土器に傷がないのは、それだけの理由ではないと思う。アンダーソン土器は商品として流通するから、割れたりして商品価値が無いものは、骨董屋とか売人の店先には並ばないのではないかと気が付いた。割れたものやヒビのあるものが掘り出されることは無いということではないのだろうが、そういった価値の無いものはさらに割られて捨てられて埋め戻されてしまうのだと思う。一方縄文土器は考古学の研考のために掘り出されるから、割れていても大事に修復されて博物館に並べられるのだと思う。

  両者の土器を比較したとき、それを掘り出す人物が違う。縄文土器の場合、発掘者は考古学者かその補助者だろう。一方アンダーソン土器の場合、イスラム教徒の少数民族である回族(または回族の支族も含まれるが)の農民、中国甘粛省青海省辺りの回教徒が掘り出すのである。つまりイスラム教徒が盗掘をしているのである。そう言うとイスラム教徒だけが悪いように思われるかもしれないが、実はたまたまアンダーソン博士が土器を発見したあたりにイスラム教徒の回族が住んでいたということなのである。掘り出された土器は、売る価値のある傷の無い物だけが北京に送られて、骨董市に売り出される。北京でアンダーソン土器を売っているのも回族の商人である。掘り出すもの、それを北京で売るもの回族であって、そのようなルートまたはシンジケートがある。掘り出すものとそれを北京で売るもの間に、買い集めるブローカーのような仕事もあるのかもしれないが、私が知っているのは、北京の骨董市場の近くに回族の売人が家を借りて、そこにアンダーソン土器が沢山蓄えられているアジトがあるくらいことは知っていた。そう言った回族の売人と知り合いになり、その土器を掘り出すのは別に農民がいると知れば、やはりこれらの売り物は盗掘品ではないかと思うようになった。おかげで私は傷の無いアンダーソン土器を買えたのだと思う。北京の大きな骨董市場で堂々と並べられているものが盗掘品だなんて、初めはそんなことはあり得ないと思っていたのだが。


 売り物になるアンダーソン土器は傷や割れの無い物という話だが、博物館の土器はどうなんだろう。北京に古陶文明博物館がある。ここは中国唯一の私立博物館だとか。この博物館にはアンダーソン土器が沢山あるのだが、ここに集められた土器は館長があるところから買い集めた物だと何かに書かれていた。つまりここの館長も商品としてのアンダーソン土器を誰からか買ったのである。だから傷一つない土器だけが手に入ったのだと考えられる。

   北京の古陶文明博物館にある全く傷の無い土器


 ついでに書いておくが中国では、アンダーソン土器(中国では彩陶というのだけれど)のマニア、愛好家、収集家が非常に多い。先の北京の古陶文明博物館の館長は彩陶を買い集めて私設の博物館を作ってしまった。ほかにも中国には考古学者でもないのに彩陶の図鑑を発行している人がいる。中国には彩陶の図鑑がいろいろある。そのおかげで、私はその本を見てアンダーソン土器(彩陶)の鑑定ができるのだが。一方日本に縄文土器の専門の図鑑は、日本には無いのじゃないかと思う。縄文土器の収集家というのも日本ではあまり聞いたことが無い。彩陶のとの大きな違いである。彩陶は縄文土器と違って火に当てて煮炊に使った形跡は全くない。墓に持ち込んで自分の身の回りを飾る位だから、彩陶は身分財とか美術品の類であったのだと思う。

  回族の骨董屋とか売人と付き合いがあるようになると、傷の無い土器が手に入る理由は、盗掘によって掘り出された物だからではないかと思うようになった。ハッキリ言えば盗掘品だからこそ傷の無い綺麗なものが流通するのではないかと思うようになった。そしてついに実際に盗掘跡があるところまで行って見てきた。それは青海省の柳湾墓地遺蹟というところで、そこに盗掘跡があるのを見てきた。本当は盗掘を見に行ったのではなく柳湾墓地遺蹟を見に行って、そこに行ったら盗掘跡が結構あったのである。

        青海省の柳湾墓地遺蹟


  柳湾墓地遺蹟に行くには、まず飛行機で北京から青海省の省都西寧まで行き、そこから楽都県まで東に65kを長距離バスで行き、
そこからタクシーをチャターしてまた東に17k行ったところに柳湾墓地遺跡があった。柳湾墓地遺跡では2千近い墓が発見され、出土した土器は1万7千もあった。最も多く土器が出土した墓は、一つの墓で91件もの土器が中央の人骨の周りに並べられていた。柳湾墓地遺跡は今までに、中国で発見された最大の広大な原始氏族社会の公共墓地で、今から35004500年前頃の遺跡である。その柳湾墓地遺跡の中に盗掘跡はあった。
        柳湾墓地遺跡の盗掘跡


  その墓地遺跡の下にある村にある村人の家にアンダーソン土器二個があるのを見せてもらった。ただしそれが柳湾墓地遺跡からの盗掘品であるかどうかは確認できなかった。私が日本人だと言ったら用心してしまってあまり話さなくなったからである。ついでにこのあたりに回族はいるのかと聞いてみたところ、回族はいないとのことであった。このあたりでも盗掘が行われているとしたら、盗掘をするのは回族ばかりではないらしい。


 先の北京の古陶文明博物館のはなしだが、そこは私設の博物館だったから、館長が出物を買って、傷の無いものが飾れたと思った。しかし公の博物館の物でも傷ものはないのである。私は沢山の中国西部地方の博物館を見てきた。北京から遥か遠く中国西部地方博物館を4っか5つは見に行っている、先の柳湾墓地遺跡の近くにも柳湾彩陶博物館があったが、そこを含めて博物館のアンダーソン土器にやはり傷が無いのである。

  柳湾彩陶博物館の土器を写した写真。少しは傷があるものがあったが


  実はアンダーソン土器は縄文土器などよりずっと沢山出土するのである。公の博物館の物にも傷が無いのは、アンダーソン土器が沢山出土するので、傷ものなどを並べる必要が無いのかもしれない。そういえばアンダーソン博士の日本語訳の著書(これはインターネットで購入した)、英語の原書(これは借りて見せてもらった)に載った土器の写真にもほとんど傷が無い。実はアンダーソン博士も農民が続々と土器を持って売りに来るので、その中からいい物だけを買い取ったらしいのである。だから博士は著書に傷ものなどを載せる必要はなかったのだろう。勿論博士は多くの遺跡を発掘してもいる。繰り返すがアンダーソン土器は沢山出土する。北京の骨董市場には沢山並べられている。売人のアジトにはもっと多くの土器が積み上げられていた。このこともアンダーソン土器について知らない人には意外な事実かもしれない。

   アジトに積みあがられた彩陶   地べたに並べられた彩陶、傷は無い

  私の家の近くに国立民族博物館があるが、ここの縄文土器も結構ヒビだらけの物がある。こんなことは中国のアンダーソン土器の展示物では無いのである。



  ところでアンダーソン土器は何故アンダーソン土器と呼ばれるようになったのか。それはスエーデン人のアンダーソン博士が中国で最初に土器を発見したのだが、アンダーソン博士が発見に係わった、日本の骨董屋が勝手にそう言い出だしらしいのである。ではアンダーソン博士が発見した土器と言うなら、日本の骨董屋(なんでも鑑定団の先生も含めて)は博士が発見した土器の範囲を知っているのだろうか? どこからどこまでがアンダーソン博士の発見なのか。そうなるとこの問題はもう考古学の分野である。なんでも鑑定団の先生も「これはアンダーソン土器です。仰韶(ぎょうしょう)土器とも言います」なんて言っていたが、「仰韶土器とも言う」の部分は全く間違っている。

  アンダーソンが発見した土器の範囲は、博士が発見した「文化」で知ることができる。「文化」とは日本で言うなら、縄文文化、弥生文化とか古墳文化の文化である。博士が発見した「文化」がアンダーソンの土器の範囲ということができる。しかしながら博士が発見した「文化」を日本語の文献で知ることはできないと思う。だからなんでも鑑定団の先生でも、アンダーソン土器の範囲を知らないのである。アンダーソン土器の範囲が分かるというなら、下の写真でどれがアンダーソン土器で、どれがアンダーソンでないか、鑑定してもらいたい。分かるならついでに○○文化の土器とか、△△文化の土器とか土器の文化年代も特定してもらいたい。

  さてどれがアンダーソン土器でしょう? 小さすぎて分からないというのなら拡大大写真をお送りします。


  アンダーソン土器は中国の甘粛省や青海省で出土し、アンダーソン土器には美しい模様が描かれていているものが多く芸術的なものさえある。そして中国にはアンダーソン土器とはいう言葉は無い。中国語で言うなら「彩陶」という言葉が近い。アンダーソン土器が主に甘粛省で発見されることから、「甘粛彩陶」というとアンダーソン土器により近い意味になる。しかし「甘粛彩陶」と「アンダーソン土器」とは近くても同じ意味ではない。そもそも中国には土器と言う言葉が無く、アンダーソン土器と言う言葉と「彩」とは、言葉の使い方が違い、中国では土器でも陶器の中に含まれるのである。だからアンダーソン土器の本場の中国で、アンダーソン土器が欲しいと言っても、中国では全く意味が通じないのである。

 上の写真の土器を「文化」で下で識別してみたが、どれがアンダーソン土器とは書いていない。さてどれがアンダーソン博士が発見した「文化」なんでしょう。写真が小さくてわからないかもしれないが、各「文化」の違いは文様でハッキリ分かる。アンダーソン博士が発見した「文化」に属する土器がアンダーソン土器です。



 もしアンダーソン博士の発見した文化を知を知りたければ下のページにかいてあります。そっちの方が大型で綺麗彩陶が多いです。
私の趣味はアンダーソン土器のコレクション



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